買い物
実家で大人しくしていれば、食料品の買い出しなんて行かなくて済むわけですが。
意外な落とし穴、スーパー。
それでも自宅に戻るにあたり、いろいろと実家で買って冷蔵庫にぎゅうぎゅう詰めてくれたのですが。
でもやはり足りない、ヨーグルト、牛乳、めんつゆ、パン、……買いに行かないと。
一応考えて、十分徒歩圏内のスーパーではあったものの、車で行ってみた。
(車で行くこと自体も結構なチャレンジではあったが、いつ雨が降るか分からない天気だったし。)
ちゃんとマスクもしたし。
いつもの調子でカゴを持ち、いつもの調子で牛乳を2本、ヨーグルトを2パック、減塩めんつゆ1本、あれ。
カゴが重い。
ここで教訓。
カ ー ト 大 事 。
本当は珍しく桃が食べたいと思っていたが、とても青果売り場まではたどり着けなかった。
無念。
何とかカゴをひきずって会計をし、
何とか袋に詰めて車までひきずり、
何とか家の駐車場から部屋まで運び、
出かける前はあー晴れてるうちに散歩にも行こうかな、なんて呑気なことも考えていたが、いやいやそんな余裕はない。
部屋に着いて冷蔵庫に詰め込んだ時点でギブアップ的な。
寒いし混んでるし重い商品が多いし、というスーパーは、結構大きな関門。
そして体力の低下は思いの外(ていうより当然ながら)深刻な問題だった。
次回の化学療法に向けた買いだめは、また日を改めて行うこととする。
意外な落とし穴、スーパー。
それでも自宅に戻るにあたり、いろいろと実家で買って冷蔵庫にぎゅうぎゅう詰めてくれたのですが。
でもやはり足りない、ヨーグルト、牛乳、めんつゆ、パン、……買いに行かないと。
一応考えて、十分徒歩圏内のスーパーではあったものの、車で行ってみた。
(車で行くこと自体も結構なチャレンジではあったが、いつ雨が降るか分からない天気だったし。)
ちゃんとマスクもしたし。
いつもの調子でカゴを持ち、いつもの調子で牛乳を2本、ヨーグルトを2パック、減塩めんつゆ1本、あれ。
カゴが重い。
ここで教訓。
カ ー ト 大 事 。
本当は珍しく桃が食べたいと思っていたが、とても青果売り場まではたどり着けなかった。
無念。
何とかカゴをひきずって会計をし、
何とか袋に詰めて車までひきずり、
何とか家の駐車場から部屋まで運び、
出かける前はあー晴れてるうちに散歩にも行こうかな、なんて呑気なことも考えていたが、いやいやそんな余裕はない。
部屋に着いて冷蔵庫に詰め込んだ時点でギブアップ的な。
寒いし混んでるし重い商品が多いし、というスーパーは、結構大きな関門。
そして体力の低下は思いの外(ていうより当然ながら)深刻な問題だった。
次回の化学療法に向けた買いだめは、また日を改めて行うこととする。
#
by amefurashimodoki
| 2011-09-02 17:34
化学療法入院9日目(投与8日目)
朝から退院がかかった採血があるので、今か今かと緊張。
かといって前回のような選手交代刺し直しがあったりしても嫌だし、どの看護師さんが採血に来るのかそれもどきどき。
(といっても今回の入院ではまだ1回しか採血されてないので、看護師さんのデータはなし)
朝食直前に現れた採血さんは、……また例の新人さんだった。
しかし今回は進化していた。
「やっぱり見えないので、手首から採りますねー」
ああ、進化。
あっさり左手首から採血。
痛かった。でも、量は採れたらしい。
血液検査の結果如何で退院もしくは取り消し、という曖昧な状況下で、同室の人たちとまったり世間話をしながら待つしかない。
先生は「すぐに結果分かるから待ってて」と言ったきり消えたし(ビーサンだった……)、看護師さんも「多分大丈夫らしいって情報は入ってるんだけど」としか言わないし。
で、退院までに更に診断書と退院処方と化学療法レクチャーが必要で、何時に帰れるのかも分からず、とりあえず荷物を何となくまとめながら待つことに。
結果、退院はできるけど化学療法レクチャーが午後になるので、とりあえず病室は出てデイルームで待っててくださいということになった。
大きな荷物を傍らに置いて、私服なのに入院患者のバーコード付けたまま病院食(昼食)を食べるという中途半端な状況。
午後になって、いよいよ化学療法センターに呼ばれた。
まずは連絡が上手くいかなかったために、せっかくシュアーフューザー付けてたのに抜去の練習ができなかったことで呆れられるやら残念がられるやら。
一応模型を使って抜去の手順は説明してくれたものの……やはり実際一度はやってみないと無理だということで双方同意。
次の化学療法では、抜去の時にもう一度来院することにした。
また、どれくらい病気や治療について説明を受けているか、医療費のこと、生活のことなどについても、かなり込み入った話ができた。
食欲不振については、「がんがん点滴してもらえばよかったのにー」だそうだ。
豪快だ。
まぁどうせポートに刺すんだから、腕が腫れたりすることもなかろうけれども。
でもポート不信なので。
ポートに関しては、異物感や痛みがなぜ生じるのかを、なぜか今までで一番詳しく説明してくれた。
目に見える傷がせいぜい3センチの小さいものだとしても、皮膚の下にポートやカテーテルを入れるためのポケットやらトンネルやらを作っている(まぁ色々はがしてるんだな)ので、目に見えない部分の傷は結構大きいのだそうだ。
更に、その傷がくっつくときにお互いにきゅーきゅーと引っ張り合うので、どうしても痛みは出るとのこと。
で、ポートが体になじむまでにはまだまだかかるらしく、異物感もそんなに簡単には消えない、と。
ポート設置の説明ではどちらかというと合併症などのリスクの説明が主で、設置に関しては「切って通して埋めます」くらいのさらっとした話しかなかった(まぁあんまりリアルに説明されても困ったと思うが)。
設置後も「大丈夫です」しかなくて、先生が大丈夫というなら大丈夫なんだろうけど、じゃあなんでこんなに痛かったり異物感があったり突っ張ったりするんだよと思っていた。
後から自分で調べて、どんな処置になってたかはある程度分かっていたつもりだったが、改めて説明されて「なぜ痛いのか」の理由が理解できた。
そんなことになってたらそりゃ痛いわな、と。
結局1時間以上かけて、レクチャーというかカウンセリングというか世間話というか、そういうことをした。
クーラーが効いていてお腹が下ったのには参ったが、しかし何かあったらすぐ看護師さんに言えばいいんだなという安心感を得ることができてよかった。
最後にもう一度内科病棟に戻って、診断書を受け取ってからもう一度病室に挨拶に行って、終了。
お向かいさんはまだ点滴が取れない。でも次回は薬の負担を軽くするそうなので、ちょっと楽になるよね、今度は外来で会いましょう、と。
入院患者用のリストバンドはきれいに取れたので、そのうちセルフレジに通してみようと思う。
いろいろバタバタしてたので、血液検査のデータをもらいそこなったのが心残り。
かといって前回のような選手交代刺し直しがあったりしても嫌だし、どの看護師さんが採血に来るのかそれもどきどき。
(といっても今回の入院ではまだ1回しか採血されてないので、看護師さんのデータはなし)
朝食直前に現れた採血さんは、……また例の新人さんだった。
しかし今回は進化していた。
「やっぱり見えないので、手首から採りますねー」
ああ、進化。
あっさり左手首から採血。
痛かった。でも、量は採れたらしい。
血液検査の結果如何で退院もしくは取り消し、という曖昧な状況下で、同室の人たちとまったり世間話をしながら待つしかない。
先生は「すぐに結果分かるから待ってて」と言ったきり消えたし(ビーサンだった……)、看護師さんも「多分大丈夫らしいって情報は入ってるんだけど」としか言わないし。
で、退院までに更に診断書と退院処方と化学療法レクチャーが必要で、何時に帰れるのかも分からず、とりあえず荷物を何となくまとめながら待つことに。
結果、退院はできるけど化学療法レクチャーが午後になるので、とりあえず病室は出てデイルームで待っててくださいということになった。
大きな荷物を傍らに置いて、私服なのに入院患者のバーコード付けたまま病院食(昼食)を食べるという中途半端な状況。
午後になって、いよいよ化学療法センターに呼ばれた。
まずは連絡が上手くいかなかったために、せっかくシュアーフューザー付けてたのに抜去の練習ができなかったことで呆れられるやら残念がられるやら。
一応模型を使って抜去の手順は説明してくれたものの……やはり実際一度はやってみないと無理だということで双方同意。
次の化学療法では、抜去の時にもう一度来院することにした。
また、どれくらい病気や治療について説明を受けているか、医療費のこと、生活のことなどについても、かなり込み入った話ができた。
食欲不振については、「がんがん点滴してもらえばよかったのにー」だそうだ。
豪快だ。
まぁどうせポートに刺すんだから、腕が腫れたりすることもなかろうけれども。
でもポート不信なので。
ポートに関しては、異物感や痛みがなぜ生じるのかを、なぜか今までで一番詳しく説明してくれた。
目に見える傷がせいぜい3センチの小さいものだとしても、皮膚の下にポートやカテーテルを入れるためのポケットやらトンネルやらを作っている(まぁ色々はがしてるんだな)ので、目に見えない部分の傷は結構大きいのだそうだ。
更に、その傷がくっつくときにお互いにきゅーきゅーと引っ張り合うので、どうしても痛みは出るとのこと。
で、ポートが体になじむまでにはまだまだかかるらしく、異物感もそんなに簡単には消えない、と。
ポート設置の説明ではどちらかというと合併症などのリスクの説明が主で、設置に関しては「切って通して埋めます」くらいのさらっとした話しかなかった(まぁあんまりリアルに説明されても困ったと思うが)。
設置後も「大丈夫です」しかなくて、先生が大丈夫というなら大丈夫なんだろうけど、じゃあなんでこんなに痛かったり異物感があったり突っ張ったりするんだよと思っていた。
後から自分で調べて、どんな処置になってたかはある程度分かっていたつもりだったが、改めて説明されて「なぜ痛いのか」の理由が理解できた。
そんなことになってたらそりゃ痛いわな、と。
結局1時間以上かけて、レクチャーというかカウンセリングというか世間話というか、そういうことをした。
クーラーが効いていてお腹が下ったのには参ったが、しかし何かあったらすぐ看護師さんに言えばいいんだなという安心感を得ることができてよかった。
最後にもう一度内科病棟に戻って、診断書を受け取ってからもう一度病室に挨拶に行って、終了。
お向かいさんはまだ点滴が取れない。でも次回は薬の負担を軽くするそうなので、ちょっと楽になるよね、今度は外来で会いましょう、と。
入院患者用のリストバンドはきれいに取れたので、そのうちセルフレジに通してみようと思う。
いろいろバタバタしてたので、血液検査のデータをもらいそこなったのが心残り。
#
by amefurashimodoki
| 2011-08-31 23:30
| 第二回入院(化学療法)
化学療法入院8日目(投与7日目)
夢見・寝起き・寝覚め全てわろし。
昨夜は化学療法の組み合わせについて悩む夢を見た。
どうも朝はとても調子が悪いらしく、朝食もごはんと味噌汁で精一杯だった。
また、味が混ざったものが苦手。例えばキャベツと人参としいたけとベーコンのコンソメ煮とか。これって昨日も出なかった?
一番食べやすいのは醤油味、カレー味も大丈夫。味噌汁も何とか。
野菜の甘みが出ています的ポトフなんかは、苦手になってきたと思う。
退院に関して朝の回診で聞いてみたところ、明日朝の採血結果によるとのこと。
手のしびれに関しては、多分神経内科とかに行っても抗がん剤の副作用扱いになると思うよ、と。メチコバールと漢方をしつこく飲み続けることにする。
退院前に、がん相談室で話をしたいんだと看護師さんに言ったらば、新人さんだったためかご存知なかった。えー。
それでも調べて連絡してくれるとのこと。お願いします。
一日分の体力低下を回復するには三日必要だと聞き、もうひたすら歩く。
今までの人生の中で、2日間も寝付くことなんかなかったので余計に体力低下が怖い。
外科でさえ、絶対安静は1日だけだったし。
深呼吸。
昼食時に気付いたが、食道が荒れている。
おう吐した後の胃酸で焼けてるような状態で、特にごはんを飲み込むといがいがする。
今まで白いご飯があれば何とかなっていたのに、ちょっと苦手になってきた。
今回もブロッコリーやら人参やらきのこやらのごった煮が出たが、やはり無理。
午後からがん相談室へ。
まずは医療費について聞きたかったし、あとは精神的なケアについても話しておきたかったし。
相談員は化学療法センターの看護師さんなので、まずは副作用などの体の状況について聞かれた。
開口一発、「やせたでしょう」と。
・体重は減らさないこと
・食べられるもので、できるだけカロリーがあるものを食べ続けること
とにかく体力温存を考えなくてはいけないそうだ。
そして医療費について。
先生に聞けばいいんだろうけど、何となく具体的な金額を聞きづらくてここまで来た。
が。
今のFOLFOX+アバスチンは、薬代だけで1回約87,000円(三割負担)。
うわー涙も引っ込む。
頑張れば出せるかな、という金額では、とても、ない。
分子標的薬たるアバスチンがとても高い薬なので、こういう金額になってしまうとのことだった。
(ただ、アバスチン抜いても4万はかかるみたいだけど……)
アバスチンは(劇的に効くかどうかはさておき)画期的な薬なわけで、使えるんなら使いたい薬なわけで。
でもこの金額じゃ、一般向けじゃないよね。
お金がないと治療が受けられない、という、まぁ当たり前といえば当たり前の事実が、目の前にごんと落ちてきた感じ。
世間知らずでした自分。医療費はシビアだ。
当然高額療養費の対象になるのである程度は戻ってくるが、毎回窓口で一旦この金額+αを払わなくてはならない。
そりゃ医療保険云々の話になるわね。
自分の場合は医療保険である程度まとまった一時金が入るし、健康保険からも戻ってくるので当分は何とかなりそうだが、しかし、最終的に退職したらどうしよう。
これで親ががんになって化学療法となったら。
みんな普通に払ってるんだろうか?
それから、ポート事件について。
実は両親にもほとんど相談できておらず、現実的な相談相手がいないこと。
ポート事件を通して、精神的にかなり追い詰められていることに気付いたということ。
なので、何かあったら話しに来ます、と。
「もちろんそのための相談室だから、電話でも直接でもいつでも何でもいいから話してほしい。でも、やっぱり家族にも相談しないとだめよ。」と言われた。
みんないずれ死ぬし、これからもっと苦しい思いもするかもしれないけど、でもそれがいつになるかは分からない。それよりも、今目の前にあることに対して何とかする手段があるんだったら、それをやるしかないんじゃない?
それもある意味真理だと思う。
看護師パワーって不思議。
目の前にあることを何とかしようと思い、夕食を頑張って食べたら食べ過ぎて具合が悪くなった。
今日も消灯ぎりぎりまで散歩。
明日は白血球次第で退院。
昨夜は化学療法の組み合わせについて悩む夢を見た。
どうも朝はとても調子が悪いらしく、朝食もごはんと味噌汁で精一杯だった。
また、味が混ざったものが苦手。例えばキャベツと人参としいたけとベーコンのコンソメ煮とか。これって昨日も出なかった?
一番食べやすいのは醤油味、カレー味も大丈夫。味噌汁も何とか。
野菜の甘みが出ています的ポトフなんかは、苦手になってきたと思う。
退院に関して朝の回診で聞いてみたところ、明日朝の採血結果によるとのこと。
手のしびれに関しては、多分神経内科とかに行っても抗がん剤の副作用扱いになると思うよ、と。メチコバールと漢方をしつこく飲み続けることにする。
退院前に、がん相談室で話をしたいんだと看護師さんに言ったらば、新人さんだったためかご存知なかった。えー。
それでも調べて連絡してくれるとのこと。お願いします。
一日分の体力低下を回復するには三日必要だと聞き、もうひたすら歩く。
今までの人生の中で、2日間も寝付くことなんかなかったので余計に体力低下が怖い。
外科でさえ、絶対安静は1日だけだったし。
深呼吸。
昼食時に気付いたが、食道が荒れている。
おう吐した後の胃酸で焼けてるような状態で、特にごはんを飲み込むといがいがする。
今まで白いご飯があれば何とかなっていたのに、ちょっと苦手になってきた。
今回もブロッコリーやら人参やらきのこやらのごった煮が出たが、やはり無理。
午後からがん相談室へ。
まずは医療費について聞きたかったし、あとは精神的なケアについても話しておきたかったし。
相談員は化学療法センターの看護師さんなので、まずは副作用などの体の状況について聞かれた。
開口一発、「やせたでしょう」と。
・体重は減らさないこと
・食べられるもので、できるだけカロリーがあるものを食べ続けること
とにかく体力温存を考えなくてはいけないそうだ。
そして医療費について。
先生に聞けばいいんだろうけど、何となく具体的な金額を聞きづらくてここまで来た。
が。
今のFOLFOX+アバスチンは、薬代だけで1回約87,000円(三割負担)。
うわー涙も引っ込む。
頑張れば出せるかな、という金額では、とても、ない。
分子標的薬たるアバスチンがとても高い薬なので、こういう金額になってしまうとのことだった。
(ただ、アバスチン抜いても4万はかかるみたいだけど……)
アバスチンは(劇的に効くかどうかはさておき)画期的な薬なわけで、使えるんなら使いたい薬なわけで。
でもこの金額じゃ、一般向けじゃないよね。
お金がないと治療が受けられない、という、まぁ当たり前といえば当たり前の事実が、目の前にごんと落ちてきた感じ。
世間知らずでした自分。医療費はシビアだ。
当然高額療養費の対象になるのである程度は戻ってくるが、毎回窓口で一旦この金額+αを払わなくてはならない。
そりゃ医療保険云々の話になるわね。
自分の場合は医療保険である程度まとまった一時金が入るし、健康保険からも戻ってくるので当分は何とかなりそうだが、しかし、最終的に退職したらどうしよう。
これで親ががんになって化学療法となったら。
みんな普通に払ってるんだろうか?
それから、ポート事件について。
実は両親にもほとんど相談できておらず、現実的な相談相手がいないこと。
ポート事件を通して、精神的にかなり追い詰められていることに気付いたということ。
なので、何かあったら話しに来ます、と。
「もちろんそのための相談室だから、電話でも直接でもいつでも何でもいいから話してほしい。でも、やっぱり家族にも相談しないとだめよ。」と言われた。
みんないずれ死ぬし、これからもっと苦しい思いもするかもしれないけど、でもそれがいつになるかは分からない。それよりも、今目の前にあることに対して何とかする手段があるんだったら、それをやるしかないんじゃない?
それもある意味真理だと思う。
看護師パワーって不思議。
目の前にあることを何とかしようと思い、夕食を頑張って食べたら食べ過ぎて具合が悪くなった。
今日も消灯ぎりぎりまで散歩。
明日は白血球次第で退院。
#
by amefurashimodoki
| 2011-08-30 13:26
| 第二回入院(化学療法)
化学療法入院7日目(投与6日目)
夢見最悪。
食べられないものあるいはいわゆる珍味を無理やり食べる夢。カメノテ、ウミウシ(珍味)、土蜘蛛(食べられないもの)。
焼きそばを口いっぱいにすすりながら夜の街を徘徊する夢。
「食べられない」ことがこんなにプレッシャーになるとは。
朝食も吐き気止めとともに。
それなりに食べられるようになってきた。
だが、匂いに敏感になったというか、だめなものは絶対にダメ、吐く、という状態。
わがままだけど、食べられるものだけ食べますよ。
そして、頻便再び。
午前中だけで4、5回。腸がすっかり落ち着きを失った模様。
外科の診察だったので先生に訴えたところ、やはり1か月だと落ち着かないし、頻便になることでちょっとした下血が起こることもあるのであまり気にしないようにとのこと。
せっかく手術の首尾やら何やらを聞こうと思っていたのに、結局ポートの愚痴やら便の話やらで終わってしまった。
改めて言われなかったってことは何もなかったってことでいいのかな?
お腹のステリーを剥がされそうになったところを死守し、ポートの傷には自主的にステリーを貼りなおした。
今日はできるだけ寝ず、散歩しようと思う。
抜糸くんがソロ活動しているのを目撃し、めがねくんやガーゼちゃんはいないかなーと思いつつ。
しかし息が切れる。
階段を下りる→大丈夫
階段を上がる→1階分でも苦しい
平地を歩く→時々休みながら
努めてゆっくり深呼吸をしながら。
頑張れ横隔膜。
夕食も一応吐き気止めを飲む。
茶わん蒸しとかお浸しとか、シンプルな(醤油+だし、みたいな)味付けは大丈夫。
でもやはり煮魚なんて無理。そしてここの病院食は魚:肉=5:2くらいなのできつい。
ただ、消化はできるようになってきたらしい。それは救い。
夜も消灯ぎりぎりまで散歩をしたが、やはり寝つきはよくない。
悪心・吐き気は軽くなってきたが、右小指のしびれは相変わらず。
食べられないものあるいはいわゆる珍味を無理やり食べる夢。カメノテ、ウミウシ(珍味)、土蜘蛛(食べられないもの)。
焼きそばを口いっぱいにすすりながら夜の街を徘徊する夢。
「食べられない」ことがこんなにプレッシャーになるとは。
朝食も吐き気止めとともに。
それなりに食べられるようになってきた。
だが、匂いに敏感になったというか、だめなものは絶対にダメ、吐く、という状態。
わがままだけど、食べられるものだけ食べますよ。
そして、頻便再び。
午前中だけで4、5回。腸がすっかり落ち着きを失った模様。
外科の診察だったので先生に訴えたところ、やはり1か月だと落ち着かないし、頻便になることでちょっとした下血が起こることもあるのであまり気にしないようにとのこと。
せっかく手術の首尾やら何やらを聞こうと思っていたのに、結局ポートの愚痴やら便の話やらで終わってしまった。
改めて言われなかったってことは何もなかったってことでいいのかな?
お腹のステリーを剥がされそうになったところを死守し、ポートの傷には自主的にステリーを貼りなおした。
今日はできるだけ寝ず、散歩しようと思う。
抜糸くんがソロ活動しているのを目撃し、めがねくんやガーゼちゃんはいないかなーと思いつつ。
しかし息が切れる。
階段を下りる→大丈夫
階段を上がる→1階分でも苦しい
平地を歩く→時々休みながら
努めてゆっくり深呼吸をしながら。
頑張れ横隔膜。
夕食も一応吐き気止めを飲む。
茶わん蒸しとかお浸しとか、シンプルな(醤油+だし、みたいな)味付けは大丈夫。
でもやはり煮魚なんて無理。そしてここの病院食は魚:肉=5:2くらいなのできつい。
ただ、消化はできるようになってきたらしい。それは救い。
夜も消灯ぎりぎりまで散歩をしたが、やはり寝つきはよくない。
悪心・吐き気は軽くなってきたが、右小指のしびれは相変わらず。
#
by amefurashimodoki
| 2011-08-29 19:30
| 第二回入院(化学療法)
化学療法入院6日目(投与5日目)
夢見が悪い。
今朝はひたすら食べないと食べないとと追い詰められる夢を見た。
あるいはたくさんの老婆がくえーくえーと言ってる夢とか。
で、起きて、やはりふらふらすると思って体重を計ったら2キロ減だった。
手術をしても全然体重は変わらなかったのに、この2日でがくんと減った。
そりゃふらふらするわけだ。
吐き気止めは30分で効くことが分かったので、計算して飲むことにする。
が、朝は間に合わず、悪心+吐き気に思うさまやられる。
結局ごはんと味噌汁を半分だけ食べて終わった。
とはいえ昨日よりは楽になっている気がするので、攻めの姿勢で頑張ろう。
とりあえずスポーツ飲料と水をがんがん飲んで、薬の排出に心がける。
食べてないせいかすっかり便秘になってしまった。
昼食も吐き気止めを飲みつつ、何とか半分は食べた。
午後、両親が来た。
初めて両親の前で泣きが入った。
化学療法がこんなに辛いものだとは思わなかったし、これがいつまで続くか分からない(というか生きてる間は続く予定)という辛さもあるし、何だかもう、泣けた。
両親は茫然としていた。そりゃそうだよね。
夕方になって、揚げせんべいとヨーグルトを胃に入れ、散歩に出てみた。
今までかなりの時間寝てたし、お腹をかばうと前かがみになるし、で、直立歩行を試みてすぐに息切れ。
息を吸おうと思っても、横隔膜が下がり切らない感触。吐き切っても吐き切れない感触。
病棟を一周するだけでもかなりの苦しさ。
これは驚き。何とかしなくては。
夕食も、しっかり吐き気止めを飲んでから。
しかし、魚や煮豆は無理。一番食べやすいのは野菜のお浸し。
思ったほど食べられず、食べた後苦しい状態も続く。
そしてテレビを見ると目が回ることにも気づいた。どこまで弱ってるんだ自分。
お向かいの人が、ついに点滴生活になってしまった。心配。
今日のまとめ。
悪心・吐き気・食欲不振・右小指のしびれ。
右手は夜になるとしびれが広がる気がする。
そして、前回入院よりも確実に体力が落ちている。
動けないと動きたくなくなるから、それでも運動しなくては。
今朝はひたすら食べないと食べないとと追い詰められる夢を見た。
あるいはたくさんの老婆がくえーくえーと言ってる夢とか。
で、起きて、やはりふらふらすると思って体重を計ったら2キロ減だった。
手術をしても全然体重は変わらなかったのに、この2日でがくんと減った。
そりゃふらふらするわけだ。
吐き気止めは30分で効くことが分かったので、計算して飲むことにする。
が、朝は間に合わず、悪心+吐き気に思うさまやられる。
結局ごはんと味噌汁を半分だけ食べて終わった。
とはいえ昨日よりは楽になっている気がするので、攻めの姿勢で頑張ろう。
とりあえずスポーツ飲料と水をがんがん飲んで、薬の排出に心がける。
食べてないせいかすっかり便秘になってしまった。
昼食も吐き気止めを飲みつつ、何とか半分は食べた。
午後、両親が来た。
初めて両親の前で泣きが入った。
化学療法がこんなに辛いものだとは思わなかったし、これがいつまで続くか分からない(というか生きてる間は続く予定)という辛さもあるし、何だかもう、泣けた。
両親は茫然としていた。そりゃそうだよね。
夕方になって、揚げせんべいとヨーグルトを胃に入れ、散歩に出てみた。
今までかなりの時間寝てたし、お腹をかばうと前かがみになるし、で、直立歩行を試みてすぐに息切れ。
息を吸おうと思っても、横隔膜が下がり切らない感触。吐き切っても吐き切れない感触。
病棟を一周するだけでもかなりの苦しさ。
これは驚き。何とかしなくては。
夕食も、しっかり吐き気止めを飲んでから。
しかし、魚や煮豆は無理。一番食べやすいのは野菜のお浸し。
思ったほど食べられず、食べた後苦しい状態も続く。
そしてテレビを見ると目が回ることにも気づいた。どこまで弱ってるんだ自分。
お向かいの人が、ついに点滴生活になってしまった。心配。
今日のまとめ。
悪心・吐き気・食欲不振・右小指のしびれ。
右手は夜になるとしびれが広がる気がする。
そして、前回入院よりも確実に体力が落ちている。
動けないと動きたくなくなるから、それでも運動しなくては。
#
by amefurashimodoki
| 2011-08-28 12:02
| 第二回入院(化学療法)
2011年、35歳で直腸がん+両肺転移が判明、ステージ4からのスタート。低位前方術、FOLFOX、FOLFIRI、UFT/LV、IRIS、Cet、肺切除、ロンサーフ、肺RFA。
by あめふら
by あめふら
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